第4回 棚澤 青路 女子教育奨励会理事
「来月一杯で辞めさせていただきます」
「えっ!どうして?」
「来年6月に結婚します。その準備もありまして辞めさせていただきたいのです」
「折角慣れてきて、さあこれからバリバリやって欲しかったのに。結婚しても働けるんじゃない?それに入社の時は、結婚後も働くと言われましたね?」
「申し訳ありません。彼も反対してますし、私も子供の面倒をキチッと見てやりたいと思いますから」
「週休2日で残業も無く、女性が生き生きと輝いて働ける環境を作っているつもりですが、仕事上、問題がありましたか?」
「いいえ、受注、入金、出荷とすべてやらせていただけたし、社内報の編集、ホームページの作成、更新まで任せていただいて、非常に勉強になりました。私も残念なのですが」
「どうしても」
「はい、彼が反対していますので、どうしてもです」
「残念ね。でもおめでたい話だから仕方がないわね。これからも頑張ってね!」
これがつい最近、私の会社の中での社員との会話です。
女性自身の意識
女性の社会進出が叫ばれ、女性の雇用者が雇用者総数の40%を超えるまでになっている今日、また女性の大学進学率も優に30%を超える今日でも、女性の社会的地位は決して高いとはいえません。
何故なんでしょうか?
これに関しては、女性の社会進出を支援しない行政の不備、古い体質が抜けきれない日本の企業体質、社会保障の不備等 様々な要因が言われています。特に最近では少子化の話と絡めて議論されていることが多いようです。
私の若い時に比べ、女性に対する就労の機会は、比較できないぐらい拡大しており、「女性」ということだけで職に就けない仕事はほとんどないといっても過言ではないと思います。それにもかかわらず女性の社会的地位が上がらないのは、勿論、家事・育児の公的支援が遅れている行政にも責任があると思われますし、家族、企業、社会の中に残る古い考え方もその原因になっていると考えられます。
しかし、私は、女性自身の意識が、今、一番大きなネックになっていると考えています。
「男=仕事、女=家庭」の観念
そもそも「男=仕事、女=家庭」という観念が醸成されたのはそんな古い話ではありません。「農業」主体の社会ではこのような考え方はありません。全員で農作業をし、子供も10歳程度になったら貴重な労働力として1人前に扱われ、男と女の明確な役割分担はなかったのです。
ところがイギリスにおいて産業革命が起こり、その膨大な生産の担い手として、低賃金の使い捨ての労働力として女性が注目されたのです。ところがその過酷な労働と長時間労働とが相まって、かえって労働力が不安定になり、生産効率的に不都合が生じたのです。そこで「女性が家事・育児に専念し、労働に集中できる男性を確保する方が安定的」と考えたのです。「専業主婦」の誕生です。
日本でも同じ道を辿り、1950年代の高度成長期には、配偶者控除制度の創設など国を挙げて「男=仕事、女=家庭」の普及に努め、家事・育児全般を主婦に任せ、夫を家庭内のことから切り離し、企業戦士として仕向けていったのです。
その後、1975年の国連国際婦人年を契機として、1979年女子差別撤廃条約を経て、1985年には男女雇用機会均等法が制定され、企業あるいは社会に対して強制的にあるいは半強制的に、その考え方の是正に努め、満足とは言えないまでも相当程度改善されてきたのです。
しかし、ここで、何故かこの観念(男=仕事、女=家庭)が、女性の中にも根強く残ってしまったのではないでしょうか。それが、折角の就労機会を得、お金をかけて教育されても、「いつ辞めてもよいのだという安易な姿勢」を生んでいるのだと私は考えます。
逃げ場所としての家庭
では、何故その観念が女性の中に根強く残ったのでしょうか?
男女とも転職、辞職の最大の理由は、本音ベースでは「人間関係」と答えるのが圧倒的だそうです。それでも男性は、特に世帯を持っている男性は、忍耐、我慢を続けていくでしょうが、女性の場合は、誤解を恐れず申し上げますと、逃げ込める場所として「家庭」を考えているフシが窺えます。人間関係で煩わしいのは夫だけで、子供は自分の分身です。肉体的にはきつい家事・育児ですが、精神的にこれほど安穏な場所はありません。特に最近では各家電の進化によって家事における余剰時間も生まれ、ますます魅力的な場所になっているのではないでしょうか!
私の会社の独身女性はすべて「結婚」に憧れ、たいていは恋人という名の存在を持っていると同時にそれを誇示しています。勿論、彼女たちが人生の伴侶を真剣に求めているのはなんら否定はしませんし、家庭、家族を真剣に考え、夫・子供に尽くしたいと考えているのなら、なんら問題ないと思います。ただ、その中に「永久就職」的考えがないことを祈る気持ちで一杯です。
自分を磨き、輝く女性へ
企業の中での社会生活は順風満帆とはいきません。仕事上の壁もあれば、上司との関係、同僚との関係、社外の人との関係など、悩ましい問題が毎日といっていいほど起こっています。しかし、それを自分で克服しあるいは自分が失敗を重ねることによって、自己が磨かれ、人として1人前になって行くと私は考えています。
そのような過程を経た女性陣が、多く企業の中、社会の中に輩出してきて初めて、本当の意味で女性の社会的地位が確立されるのではないかと考えています。
一部の女性たちだけが男以上に頑張っていても、女性全般の社会的地位の向上には結びつきません。働く女性の大半が、働くことへの意義、価値を考え本当の意味での男女平等の社会を一日も早く実
現すべく、我々女性が自ら変わっていかなければと思います。
2006年7月 |