田中幸子さん
テーマ:一人称のキャリアを目指して ~自分で考え、自分で決める人生、
どんな結果になっても、責任を人に転化しない。
今日の講師は、田中幸子さん。田中さんは、1973年に富士通に入社、社内留学制度でハワイの日米経営科学研究所で学ぶ。帰国後、システムエンジニア・アナリストとして開発を担当し、多くの外国企業と連携して大型商談などを手がけてきた。その後豪州、英国に駐在し海外から国際ビジネスの発信を続けてきた。合計18年間海外に駐在していたことになるが、2006年に帰国後いろいろな経験を活かし「株式会社INO(Integrity,Network & Opportunity)を設立、現在代表取締役として、ITビジネスの分野での日本発、又は日本着のグローバルなビジネス立ち上げのコンサルタンシーサーヴィスを提供してる。
そういう田中さんに、がむしゃらに走ってきたというご自分の職業人生を振り返り、いろいろ感じて来られたことをざっくばらんに話してもらった。
- * 父の影響が非常に大きかったと思う。父が公務員であった関係で、転勤の連続であったが、その都度新しい土地・環境に適合していく習慣が出来ると同時に、その土地の特徴を理解するように教わった。例えば、北海道ではアイヌの異文化と京都ではあちこちのお寺参り・・・・。また父の教育方針は、「これからは自分で決めて自分で責任をとる」であった。
- * 1973年に富士通に入社したが、まだ若い会社で、「とにかくやってみよう・やらしてみよう」という風土であった。自分のやりたいことを、上に理解してもらう自分としてのポイントは、
- トップと何らかの接触があること。
- 他社・他国の情報を持っていくこと。
管理職になった途端に、オーストラリア・シドニーに転勤、ラインマネージャヤーとして欧米式人事管理もやらされたが、多国籍の人たちを如何にまとめていくか、大いに勉強になった。
自分の強みは、ドウーワー(Do er。まず現場に行ってやってみること)とアジアを勉強したことだとと思う。
日本のトップの人たちは、アジアに対して優越感、欧米に対して劣等感を持っていることを感じる。
- * 18年間海外での勤務で強く感じたことは;
- 1)日本の企業社会には、男性中心、学歴尊重などのルールがあること。
- 2)グローバルなビジネスの世界では、英語のコミュニケーションが必須であること。
- 3)海外では私・個人としての仕事経験や能力を評価されていたが、日本の企業社会では、個人としての評価以前に、「女」というのカテゴリーの行動規範を期待されている。
- 4)ヴィジョンを持って仕事をしていることが必要。
- 5)体力があることは必須である。
- 6)外見も必要。(コミュニケーション、洋服、挨拶・・・・・)
- * 国際人として必要だと思うこと及び自分が守ってきたこと;
1)その国を理解すること、2)自分の感性を磨く事(例えば、音楽でも)、3)ボランティア活動。
障害者から勉強した。感謝の気持ちと友達作り。4)自然との触れあい、Walking、5)好奇心
日本に帰ってきて、なにか人の価値観や、やる気などが後退しているのではと感じている。これからは自分のやれること、特に女性・高齢者・外国人と協力して、多様化した社会を作って行きたい・・・・・
18年前日本をでたときにはなかったインターネットの活用。そしてコミュニケーションとネットワーキングを今後も積極的に行って行きたい。
- * 質疑:日本人男性の駐在員は日本人同士でつるんでしまい、現地の人と付き合わない。女性の駐在員は未だ珍しいケースで仲間が居ない事もあるが、つるまないから、ボランティアなどで現地に溶け込めたのではないか。また、父親の教育、特に日本のお寺を沢山見ていることが、田中さんの日本人としての感性に重要な影響を与えたのだと思う。