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ワークライフバランス研究会

第1回 JKSK拡大ワークライフバランス研究会 

日時  2008年1月28日(月)15時から17時
場所  パレスホテル IVYハウス(B2)

減殺日本、家族の現場~真のワークライフバランスの推進を~

【 講師 】中尾英司氏 (家族の問題解決ナビゲーター) 

木全:
本日は、ご多用な中、ご参集下さいましてありがとうございます。また、去る 10月26日の「ワークライフバランスシンポジウム~男の働き方を変えよう!」 におきましては、絶大なるご協力を頂きまして心から感謝を申し上げております。どこに行っても、日本の社会は、男性中心の真っ黒けの気持ちの悪いホモ社会と陰口をたたかれる光景ばかりですが、先のシンポジウムでは、マスコミ、主催者などを除く、実際の会場の参加者が男性74名、女性74名、アンケートにお応えいただいた方々は、男性44名、女性44名という私達JKSKが目指す50:50の健全且つノーマルな社会の姿であったことは喜ばしく思っています。

また、私たちのシンポジウムを後援頂きました(財)社会経済生産性本部でも、2007年の生産性運動4つの目標を掲げ、その第2の目標が「ワークライフバランスの推進」でしたが、その中身は、父親の育児参加の推進と出産・育児を終えた女性が元の職場で引き続き働けるような職場環境を作っていかねばならない・・と言うものでしたが、本年度、2008年の4つの運動目標の第2が昨年同様「ワークライフバランスの推進」ですが、その中身は「21世紀において最も大切なことは、がむしゃらに働いて、経済発展を支えてきたという働き方の時代から決別し、これからは、働き方と生活の仕方のバランスをとることにより人間力を高めていくことである」と認識を変化させてきたことに、どの位内容を理解し、具体的にどのように推進していくのか、いささか疑問なしとしませんが、はっきりと変化をしてきていることに大変興味を覚えました。

私達も小さな活動ですが、あのシンポジウムを着地点とするのではなく、出発点として、ご参加くださった皆様方とのご縁を大切に、また、皆様夫々がワークライフバランスの推進に取り組まれる上で、持たれた疑問、直面する問題などをお互いにぶつけ合いながら、この30名の叡智を最大限に活用しながら夫々のお立場での活動に力を発揮していけたら・・・それは、ゆくゆくは日本社会の変革にも繋がると思っています。

3年前から始めておりますWork & Life Balance 研究会ですが、今後は先のシンポジウム第Ⅱ部にご参加下さった方々にもよかったら参加していただき進めていきたいと考えております。本日の参加者の名簿をご覧いただきますように 1~2人の方々を除き、ご出席、今回はご欠席というご連絡をいただいております。本日から、先ず、最初の3回は、ワークライフバランスについて、より深めた勉強会にしてはどうだろうかということから今回、第1回を開催することにいたしました。後で、ご紹介いただきますが、今回は中尾英司様に1時間ほど講演をいただき、その後、先のシンポジウムのアンケート調査の分析結果をご報告し、皆様方のその後のご活動状況などをうかがい、最後に、今後のこの研究会の活動方針、日程等について意見交換を行えたらと存知ております。

また、数名の方々は、お仕事の都合でご出席いただけませんが、研究会終了後この場で、シンポジウムの打上会を開催したいと考えております。よろしくお願い申し上げます。

今回は西田陽光さんのご紹介で、家族カウンセラーの中尾英司氏においでいただき、現代日本、家族の現場についてまたWLBはどうあるべきかについてご講演を頂き、ご一緒に考えていきたいと思っています。ではよろしくお願いします。

西田:
今回研究会の講師に中尾氏においでいただいたのは、もともと企業戦士だった中尾さんは、今はその経験を踏まえ、当事者として家族という現場に足を運んでさまざまな家族が抱える闇の部分と取り組んできておられます。この闇の部分と自分たちの身近なところで起こっている実態を知ってほしいと思っています。

中尾:
高校時代に「四十不惑」を習った頃から40歳になったら惑おうと考えていました。そこで、39歳の時に自分の棚卸しをして「感情」が大切だと気づき、40歳から始めたのがカウンセリングの勉強です。折しも会社では本社の組織改革プロジェクトに抜擢され、公ではパワハラや抵抗勢力に遭いつつ組織改革を進め、私では家族相談士の資格を取るなど多忙な4年間を過ごしましたが、カウンセリング仲間がいたためにパワハラと闘うことができ、またカウンセリングスキルを用いてプロジェクトを成功に導くことができました。

その成果を「あきらめの壁をぶち破った人々」というタイトルで日本経済新聞社から出版して独立し、組織改革、パワハラ、ファシリテーション、チームマネジメントの講演やセミナーを行っておりましたが、「酒鬼薔薇」少年が出所するに当たり、少年Aのことを先天異常と決めつける論調が出てきて彼のことを書かねばという衝動に突き動かされました。それは、彼のことを先天異常と決めつけて問題を個人に帰させてしまえば、日本という社会はあの問題から何も学ぶことができなくなってしまうという危機感でした。

私は、家族心理学と交流分析の観点からAの深層心理に迫り、「あなたの子どもを加害者にしないために」という本にまとめて出版すると同時に「中尾相談室」を立ち上げ、現在は虐待、いじめ、不登校、引きこもり、ニート、非行、モラハラ、DV、離婚、セクハラ、パワハラなどの問題で家族カウンセリングをしております。訪問カウンセリングは月10件ほど全国に及び、あとはメール及び電話、海外からスカイプ・カウンセリングも行っています。

症状としては、うつ、抑うつ神経症、強迫神経症、対人恐怖症、躁鬱病、統合失調症、ヒステリー、解離性健忘、性同一性障害、ギャンブル依存、恋愛依存、性依存、水中毒、摂食障害、チック障害、窃盗癖、自傷癖、女装癖、心身症、感情鈍麻…等々がありましたが、私がフォーカスするのは対症療法ではなく、その背景に潜む世代間連鎖の問題です。

歴史ある旧家から豪邸、生活保護家庭まで伺っておりますが、私の前にいるのは連鎖に巻き込まれている人か、連鎖から離脱できる人かという2種類の人だけです。本日は、人が連鎖に巻き込まれる過程を知る上で、人がどのように育つのか、また家庭の機能とは何なのかを理論と事例の両面から解説させていただきます。

1 人はどのように育つのか

生後3ヶ月しかたっていないのに、大きく明暗を分けた赤ちゃんの例を体験しています。Aちゃんはニコニコと看護師とも愛着関係ができていましたが、Bちゃんはこちらが構おうとしても目を合わせようともせず、身じろぎもしない-とても不自然に硬直していました。不思議に思って看護士に訊くと母親が粗相をしても叩くというのです。

生まれてこの世がどういうところかわかっていないBちゃんがわかることは、自分の生理現象でも叩かれるということです。つまり、自分はこの世に受け入れられていないんだ、ありのままの自分ではだめと感じ、自分を出さないことにエネルギーを使うようになります。自分を抑え込むためにエネルギーを使っていた姿が、あの硬直した姿だったのです。

一方のAちゃんは、いつも笑顔で迎え入れられていますから、そのことで存在は認められています。ですから自分の有り様を気にすることもなく思いのままに好奇心を外に向けて発散しているのです。つまり、ユングのいう「内向」「外向」という指向性の違いが生後直後の環境から形成されるということです。

さて、Bちゃんは反応しませんから人が寄っていきません。すると長じるにつれて「自分は無感動無表情で人から嫌われる」という自己イメージを作っていきます。それは本当の自分ではなく、自己防衛から生まれた「性格の鎧」(ライヒ)なのですが、あたかもそれが生まれながらの自分だと思ってしまうのです。このように自分で作る自己イメージのことを「自己概念」と言います。

親の方も生後3ヶ月の間に子供にしたことなど覚えていませんので、「この子は生まれつき引っ込み思案で気むずかしい」などと思ってしまいます。そこを変えようと親が「あれやれ、これやれ」と発破をかけるとします。すると、それは「楽しむな」という禁止令として子供に伝わります。また、「お前がもっと積極的ならいいのにねぇ」というのは、「お前自身であるな」という禁止令です。いずれにせよ、親はあるがままの子供を否定しているわけで、子供は、自分の持つマイナスの自己概念を親によってますます強化されていくわけです。

こうして、10歳前後のとき、「自分はこういう人間だから、このように生きていくんだ」という自分の人生のシナリオを無意識に作っていきます。

次に、そのシナリオに沿って歩き始める上で背骨が必要になります。昆虫を見るとわかりますが、芋虫の時に背骨がないのに、蝶になると背骨があって飛び立っていけます。どこで作るか?そう、サナギの時ですね。しかし、この時に人の手が加わると必ず奇形になります。ですから、外部から介入されないようにサナギは繭の中に引きこもるのです。

丁度、このサナギに当たる時期が中学です。昆虫でも異様な形をするときですが、人間でも最も変化が激しくて訳がわかんないときですよね。この時に、親は黙って見守らなければなりません。ところが、この最も大事なときに親があれこれと介入するから、きちんとした背骨ができず生きづらさを抱えていくことになります。

この時に親がなすべき事は、ただ自分がこの社会に立っている姿を見せるだけです。人はモデルを見て成長していきます。子供に恥じない姿で立っていればいいのです。

さて、Bちゃんは生き直しができないかというとできます。自分の「人生脚本」に気づくこと。そこから、本当の自分の人生が始まるのです。

2 家族の機能

家族に必要な機能は2つです。一つは、子どもの気持ちを聴いて「心のコップ」を空にすること。もう一つは放っておくことです。心の重荷を軽くしてあげることと、あるがままの自分を回復すること-このように家庭とは、「復活するためのフェニックスの巣」なのです。

しかし、現実には、親が一杯一杯で子供の気持ちを聴くどころではなく、むしろ子供を怒りのはけ口にしたり、外よりも厳しい躾が家の中であるためにリラックスできなかったり…今やそういう家庭ばかりです。以前はアルコール依存症の家庭を機能不全家庭といっていましたが、今や日本全国どこに行っても、どの家族も機能不全なんだと感じます。日本は足元から壊れつつあります。

これをストロークという概念から見てみましょう。ストロークとは、「その人の存在を認める働きかけ」のことです。心理的、肉体的なストロークのそれぞれに肯定と否定のストロークがあります。

「聴く」というのは、最高のストロークです。なぜなら感情とは自分自身であり、その自分を丸ごと受け止めてくれることが聴くことだからです。 「抱きしめる」というのは、自分の存在を確認してくれるストロークです。人は抱きしめられて初めて「自分は大事な存在なんだ」と感じ「命の大切さ」を実感できます。抱きしめられたことのない人に命の大切さを説いても理解しません。 「おんぶ」というのは、信頼を培うストロークです。互いに全幅の信頼がなければおんぶできないからです。

一方、相手の目を見なかったり、叩いたりするのはマイナスのストロークといって相手の存在を否定的に認めるものであり、相手は傷つきます。 さらに、「ディスカウント」というのがあります。これは「人の数に入れない」ということ。マイナスのストロークは相手の存在をまだ認めていますが、ディスカウントはもうモノ扱いです。無視したり、殴ったりけったりと言うのは、もはやディスカウントです。

厳しく鍛えなければ堕落するという間違えた論調が見られることがありますが、「生きる力」や「やる気」はプラスのストロークからしか生まれません。

ここでストロークを食べ物にたとえてみましょう。プラスのストロークは心にいい食べ物、マイナスのストロークは心に悪い食べ物です。すると、食べ物がない状態=ストローク・ゼロという状態があることがわかります。心が飢えてひもじくてしょうがない人ですね。そういう人は、飢えを満たすために手段を選びません。倫理も道徳もありません。生き延びることが全てです。何でも食べようとします。

たとえば少年A-彼もストローク飢餓でした。彼は親からストロークを得られない自分を「透明人間」と表現しました。そして、自分のことを誰も認知してくれない孤独に耐えきれずに自分を認知する存在を自分の中に創り出しました。それが「酒鬼薔薇」です。

また、飢えを満たすためにこちらから仕掛けます。それを「ゲーム」と言います。たとえば、少年Aは「殺人ゲーム」を、ホリエモンは「マネーゲーム」を仕掛けました。2人とも愛情に飢えた者達でした。そして、自分に向き合わない親の代わりにAは「警察」を、ホリエモンは「検察」を引っ張り出したのです。

3 家族機能不全の事例

【小1の女児の不登校】
「最近学校に行きたがらず、自分にくっついて離れようとしない」という悩みを抱えた母親。
父親不在で子どものことにはノータッチ。母親は家庭内のすべての責任を引き受け、緊張と不安のストレスの中にいました。子供にとって安全基地の本体は母親。自分が復活できる安全基地そのものに不安があるのですから、子供は外に行っている場合ではありません。その間に何かあったらどうしよう…不安が募ります。つまり、子供が学校に行こうとしないのは、「外」に問題があるのではなく「内」に問題があったからです。

処方箋はシンプル。母親の「心のコップ」が空になればいい。つまりは、夫に気持ちを聴いてもらうこと。このケースでは、毎週ファミレスで2時間夫に妻の話を聴いてもらう時間を作ってもらいました。ルールはひとつ「アドバイスをしないこと」。結果は妻の心が軽くなり、母親が落ち着いてくれば子供はもう見守っている必要はなくなって、自分の世界へ集中することができるようになります。不登校は治りました。このように、子どもの問題行動は家族がどこかおかしいよと教えてくれているのです。

【水戸市19歳両親鉄アレイ殺害事件】
中学教師の父親と二十四の瞳と言われるくらいの小学校教師の母親。そして、エリートでなければ認めないという厳しさをもった祖父。3名も価値を共有していれば子供に逃げ場はありません。少年は優等生で頑張り続けエリート高校に進学しますが、欠席が増えてニート状態になります。すると母親は教師を辞め、ニュージーランドに別荘を購入して少年と妹の3人で生活を始めました。さて、このお母さんの行為が嬉しいでしょうか。

そう、重たいですね。彼は両親に敷かれたレールの上を走り続け、疲れ果てて今はただ休みたいだけです。にもかかわらず、リハビリのレールまで敷かれたのです。その先には復帰というレールが見えています…。少年は「自分の人生にどこまでも介入してくる両親を亡き者にする以外に自分の生きる道はない」と思い詰めて親を殺しました。事件を起こした子供の言葉は、いつも真実を言っています。

【歯科医師家妹殺人事件】
これは、歯科医を復興したいという母親の人生脚本が、全ての家族を道具にした結果起こった事件でした。家業を守るために生活が手段となる本末転倒現象はよく見られます。母親は、自らが家業復興のための第一の手(道具)となりました。自らを道具とする人は関わる人間全てを道具にします。いわば、自分の人生脚本に沿って演じる舞台の登場人物として夫も子供もいるのです。

生まれた男児2人は両親の経営する歯科医院をそれぞれ継ぐ後継としてのみ育成され、末子亜澄さんは継ぐべき医院もなく女性であるため、この家には居場所がありませんでした。唯一許された存在の仕方は、ストレスのはけ口として兄達から殴る蹴るの暴行を受けることだったのです。それに耐えられずに、寮付きのバイトを探してキャバクラ勤めをするわけですが、3浪して苦しんでいる次兄には面白くありません。次兄は、歯科にあらずんば人にあらずというような家庭の中で歯科以外の夢を持つことは許されず、亜澄さんは人間扱いされない家庭の中で外に夢を求めざるを得ませんでした。こうして「夢を許されざる者」と「夢にすがらざるを得ない者」との対立は激化し、事件は起きたのです。本当の2人の願いは、ただあるがままの自分を親から認めてもらい、そして食卓を囲んで普通の団らんがしたかったのです。

家庭であれ会社であれ、たった一つの価値観で染め上げようとすると、そこはサティアンとなります。そして、帰依者とそうでない者との間で必ず対立が生じます。一つの絶対価値で統一することの愚かさを示しています。家族こそが最も自由なコミュニティなのです。

4 企業経営に及ぼす世代間要因

家族が追いつめられている背景にワークライフバランス(WLB)が極端に崩壊している現状があり、ここまで会社べったりになってしまった要因の一つに会社経営におけるマネジメント不全があります。そして、マネジメントが機能しなくなった背景に世代間要因があります。

今の企業のマネジメントポリシーは団塊世代に体現されている高度成長期工業社会のまま変わってないと言ってよいでしょう。しかし、急速な社会変化によってほぼ5年ごとに異なる価値観が現れています。

たとえば、10年下の私と同世代は山一證券の倒産などを見ているので「ジャイアンツは永遠です」などと言えません。会社を絶対化せず自分の市場価値を相対的に見ているので、人事政策でもまるっきり正反対になります。 その5年下のバブル世代は既に情報化社会に生きていて方法論は個々人が持っています。マニュアルが決まっていた工業化社会は方法論の押しつけが効率的でしたが、方法論を持っている人に方法論を押し付けることは、その人を精神的に殺すことになってしまうのです。特に研究開発分野で研究者を殺している管理職が多いのが現状です。 その5年下は男女平等・協働社会を生きています。分業と競争で生きてきた団塊世代のマネジメントとは全く相容れません。 その5年下は、もはや縦社会で子供時代を過ごしたことがない「個」の世代です。団塊世代の集団主義について行けません。

さて、団塊世代5年下は華やかな団塊の下に隠れてすこしひねた個性を持っていて面白く下の世代に近づきたがっています。が、私たちの世代と決定的な違いがあるのは、社会が挫折を経験しているかいないかと言うことです。
つまり、53歳くらいから上は、パイが拡大する高度成長の中で下に責任を押しつけておけば会社は成長した。一つの業務の下に多量の物量があるので、言われたことを効率的に処理することが甲斐性であり、「何故?」と問うのは罪でした。

しかし、低成長になると「選択と集中」をしなければ会社自体が存続できなくなるため、「何故?」それをするのかを問う時代となりました。日本に初めてアカウンタビリティ(説明責任)という言葉が登場したわけです。が、「何故?」を問うことが禁じられていた現マネジメント層にはそれができない。これがマネジメント不全の最大要因なのです。

下の世代は自分を認めてもらうこと=信頼関係と自己の成長につながるかどうかで行動します。しかし、押しつけるだけしかできないマネジメント層は、「聴く」という単純なことをできずに「評価」で部下を動かそうとしている。様々な評価制度を取り入れてもう随分たちますが企業が機能していない。人間心理と手段のミスマッチに気づくべきです。

また、分業と競争に追われて団塊世代は会社に「引きこもり」ました。そのジュニア世代が家に「引きこもる」のも当然なのです。人はモデルを見て育ちますから(モデリング理論)。団塊世代は会社人間を終えることができるのですから、これからは「社会人」モデルとして登場してほしいと思います。

5 パワハラが増える社会的背景
  • .かつて会社は共同体だったのが、今では株主のものになりました。そのため、会社が株主利益のための道具と化し、社長以下全員が道具になりました。
  • 98年には規制緩和がなされ、「勉強不足はだまされても文句は言えない。→だまされるほうが悪い」という堀江元社長の言葉に象徴的に表されるとおり、法律すれすれで稼ぐことが是とされていきます。自民政権はモラルをなくす「許可」を与えたようなものです。
  • 04年の改正労働者派遣法は、トヨタ生産方式を人に適用したようなものです。「必要なときに、必要な人を、必要なだけ」を是として、人を堂々と部品化するようになりました。
  • さらに成果主義や能力主義が、会社の経営責任(アカウンタビリティ)を問わず個人責任(レスポンシビリティ)のみを問う方に働き人を追い詰めています。

現代社会は未来から見たらきっと異常な社会と位置づけられると思います。家庭が崩壊している今、何のための社会であり仕事でしょう。子どもたちは鏡です。我が子を見てください。一人ひとりが自分の持ち場で、我が子に恥じないまっとうな仕事をすればいいと思っています。

Q&A) 

パク:
不登校が普通になってきています。アメリカ人に驚かれました。ひきこもりも日本独特の現象です。
中尾:
それこそ家族機能不全の象徴です。家の中で子供は自分を取り戻すどころか、親からのストレスを受け続けているのです。家の中でエネルギーを浪費しているので余力が残りません。実際、私が会った不登校の子供の全てが親を支えています。

堀井:
企業が進めようとしているWLBプログラムで危険なものがあるとは何でしょうか。
中尾:
企業の目的はあくまで利潤の追求です。効率やコスト削減という枠組みの中で語られるWLBは、形だけ見栄えを整えて、結局個人にしわ寄せするものになります。現代は、もはやありえない「経済人」を前提とする市場経済や国際分業の理念自体が問われる時代になっていると思います。少なくとも、経済学に「人の気持ち」(心理学)は入っていません。

渥見:
能力主義と自律的労働制度の何が悪いのでしょうか?私は、WLBを推進する上で両者は必要な要素だと考えています。もちろん、それ以外にも必要な要素は
沢山ありますが、だらだら労働、ぬくぬく労働を減らして、いきいき労働を増やす上で、時間当たりの成果をきちんと測定し、評価する仕組みと従業員の自律性を高めていくことが重要だと思います。
中尾:
1,組織は合理的にできていないと言うことです。むしろ処遇のためにポストができたりします。似たような組織があちらにもこちらにもあって、そこを整理せずに成果主義を入れれば結果足の引っ張り合いです。 2,上司の力量が足かせになるということです。上司は本質的な問題を巧妙に回避します。どうでもいい問題に部下が付き合わされて成果をあげても、何の意味もありません。

古市:
自分は良い家庭に育ったと話を聞いて思いました。核家族の中での子育ては難しいと思います。その中で両親とも働いていることは、子供にとっていいことでしょうか。
中尾:
もちろん、母親は安全基地の本体ですから、母親がいるに超したことはありませんが、大切なことはいるいないではなく母親が活き活きしていることです。それに、そもそも人は夫婦(両親)だけでは育てられません。「親が無くても子は育つ」と言えたのは、地域が育ててくれたからです。これからは、歩いて全てが揃うコンパクトシティに、縁側など「縁」を作る機能を持つ家屋など、地域の再生が最も大事です。もはやモノはいりませんから、国の目標もGNPではなくGNHに変えたらよい。

木全:
多くの方が中尾先生のカウンセリングで実際に変わったというのは素晴らしいですね。しかし中尾先生のような方が一世帯ずつ変えていかなければ日本の世帯全体を変えられないというのも、どうなのでしょう。中尾先生は、ご自身の活動を広めるために、後継者の育成という考えはお持ちでいらっしゃいますか。また、具体的になさっていますか。中尾先生ご活躍の分野での後継者育成に関して、どうお考えですか。
中尾:
訪問してカウンセリングするという手法は、よほど相手との信頼関係を築く能力がなければとてもリスキーなやり方です。効果は大きいのですが、誰でもできるやり方ではありません。また、人は危機に直面しない限り逃げ続けようとします。自ら一歩踏み出してこない人に何を言っても意味がありません。そういう人に働きかけるのは宗教の勧誘と同じで依存関係を創り出すだけ。自律にはつながらないのです。人はモデリングして成長します。私は、ただ自らの足で立つ姿を見せるだけです。

木全:
本もお書きになっていらっしゃいますから、それをお読みになって、同じ活動をしたいと立ち上がる方も出てくるのでしょうね。
中尾:
その通りです。ブログも書いています。ブログを読んで変わる人もいらっしゃいますし、勉強会を始めたママさんグループもあります。私は、本もブログも、それを読んで自ら変わってほしいという思いで実践的に書いています。

建部:
日本のカウンセラーで、中尾さんのようにそこまで考えて活動していらっしゃる方はなかなかいないのではないでしょうか。アメリカでは、風邪を引いたくらいの症状でカウンセラーへいけます。日本は行きにくいですね。そこを日本はもっとオープンにならなければと思います。

 

年功序列制度・能力主義について

中尾:
年功序列でも十分にやっていけます。一人一人の能力の差はそんなにないと思っています。あるセミナーでグループワークをした際、私のグループだけが良い評価を受けました、それは能力の差ではなく、私がファシリテーターを務めたからです。気持ちを引き出すこと、それだけで、皆自分の考えを言い始め、その結果素晴らしい成果が出てくるのです。

佐々木:
私も年功序列で良いと思います。能力は、いわなくてもわかるもの、できる奴はできるんです。できる人の能力を制度が重視し伸ばそうとしたからといって、それが企業全体にとって効率的ではないということです。全員に報いるほうが皆のモチベーションがあがります。

中尾:
100のアリが働いていると、働かないアリが20います。そこで、その20を取り除いて80のはたらくアリだけを集めても、またその2割は落ちこぼれるのだと言います。それなら、無駄になる人を作らないよう、全員から引き出すのがいい。必要なのは、引き出す人、ファシリテーターです。その育成を日本は全くしていません、そこが問題なのです。

子育てについて

堀井:
商家、農家は協働社会です。分業になったのは戦後のこと。「ワークライフバランスをしない」というのを、男も、女も、会社も選んできたようなものです。そしてそれを配偶者控除などで制度が後押ししてきました。

中尾:
私も専業主夫になった経験がありますが、苦しかったです。飲める仲間もいませんし、一人です。時間にメリハリがありません。私はヘッドハンターに「組織改革は会社の中でハイエンドの仕事」と言われることをやってきましたが、子育てや地域育ては、それよりもよほど大変です。

笹田:
スウェーデンの先進企業では、子育てを終えると評価がひとつあがるそうですね。

古市:
日本では、休むのは「障害」と見られています。

堀井:
子育てで、抱きしめることやアイコンタクトが大事とおっしゃいましたが、それは会社でも通じるところがあります。

中尾:
沖縄では、今も子どもが3人いるのが普通だそうです。経済は日本で最低の場所です。しかし、家の外へ出れば地域の子どもたちが集まって遊んでいるという昔ながらの地域社会が残っています。経済がよいと子育てがしやすい、と考えるのは間違いです。

山崎:
地域社会は大切です。老後の大切なものとして第一に健康、第二に仲間と挙げた人がいますが、仲間を作るためには地域社会が必要です。私は選挙活動をいろいろな人に支えられましたが、主に手伝ってくださったのは地域の70代の方々でした。仲間がいれば、お金はあまりなくともやっていけます。

 

 
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