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松信章子
横浜生まれ。上智大学外国学部、ミシガン州立大学ジャーナリズム学部修士課程卒...[詳しいプロフィール]

「天職幻想」に惑わされないで
歩み続けてこそ見えるものがある

松信章子

若い時から自分のしたいことが分かっている人たちは幸運だ。さらに自分のしたい事を成しえる才能を備えていたら、さらに幸運だ。多分、天才はこういう人たちなのだと思う。たとえば、モーツァルト。彼にとって音楽というものは息をするのと同じくらい自然なことで、「自己実現できる天職」を探す苦労なんて絶対にしなかっただろう。英語で天職のことをCallingというが、天職はHeavenからの声なのだ。モーツァルトは物心ついた時から「天の声」を聞いていたのに違いない。

モーツァルトは別格にしても、若くして「天の声」を聞くことができる幸運な人が大勢いるわけではない。凡人の私たちは、一生懸命考えても、耳を澄ましても、何が自分の天職か、何をすれば自己実現ができるのか、なかなか見つけられない場合が多い。一生かかっても分からない人だっているだろう。不公平と嘆いてみても仕方がない。それが人生と受け入れるほかはない。

私が若い頃、女性の生き方には、あまりバリエーションがなかった。まず就職といえば、「永久就職」。昨今、この言葉は死語になったのではないかと思うほど聞かなくなったが、一昔前、女性が生きていくのは、結婚という「就職」によるのが当たり前だった。当時、一般的に女性の職といえば、秘書などの男性の補助職、教師や保母、あるいは、スチュワーデスなどと限られた職種しかなかった。つまり、男性よりも女性に適していると考えられていた職業への門戸は開いていても、それ以上の選択肢はほとんどなかった。その上、働き続けることは、「永久就職」にとって有利な条件ではなかったので、腰掛的に働き、24歳前に結婚退社することが、多くの女性とその親にとっての望むべきパターンであった。年をいっても結婚しない女性は、「行かず後家」などという、信じられないような侮蔑語で呼ばれることもあった。

一昔前のオプションの少ない時代に比べると、今や隔世の感がある。女性に門戸が閉ざされている職業を考えてみても思いつかないほどだ。力士、歌舞伎俳優、プロ野球選手など、特殊な職業の他に何があるだろうか。かくも選択肢が豊富で、その上、それほど食べることに困らない豊かな社会では、多くの女性が生きるための仕事より、「自己実現」ができる仕事を求めるのも当然だ。女性が男性よりも「自己実現」にこだわるのは、男性よりも選択肢が多いからに違いない。好むと好まざるとに関わらず、未だに男性は生活費の主たる稼ぎ手として位置づけられているので、女性ほどは、生き方のバリエーションが与えられてはいない。

けれども、今の若い女性たちにはひと昔前の女性たちにはないプレッシャーもあり、それによって自縛されている人たちも多いように思える。何でもできる世の中で、何をしてもよいといわれ、逆に何をしたらよいのか見つけられないとしたら、それは苦しいことに違いない。自由がなければ、束縛の中で文句をこぼしつつ生きていけば、面白くなくても自分に対する評価には影響ない。なぜって、環境が問題なのだから、その所為にしておけばよいのだ。でも、自由であれば、文句を垂れることはできず、自分で責任をもって自己実現できる道を見つけなければならない。それができなければ、自分に対する評価は落ちてしまうのだ。願うことと現実の乖離に幻滅し、自信を喪失し、歩みを止めてしまう。けれども、それは本当にもったいないことだ。

なぜならば、多くの人は「普通の人」で、努力なしで「天の声」を聞くことは容易ではないのだ。考えてみれば、若く、経験も少ない時に、どんな仕事(趣味ではなく)が自分の適性にあっているか容易に見つけられると期待するほうがおかしい。お金を稼ぐことの大変さはもとより、仕事の内容も、要件も、人間関係の複雑さも分からず、ましてや自分の適性すらよく分からないまま、自己実現の道など簡単に見つかるはずもない。ある日突然「天職」が、あちらから迎えに来てくれるだろうというようなナイーブな願望を持っているとすれば、それは「白馬の騎士」願望と変りはない。こんな幻想は捨てた方がよい。自分で行動を起さなければ、何も起きないのだ。すばらしい偶然に出会うのさえ、その裏には自分で求め続けてきたという必然があるに違いない。

団塊の世代である私の周りの働く女性を見渡してみれば、最初から、自分の望む仕事に向かって一直線にキャリアを歩んできた人は、皆無ではないとしても、ほとんどいないと言っても過言ではない。私の世代は、仕事の選択肢が極めて限られていた時代に職業人生を始めた人たちだ。「自己実現」ができる仕事を探す贅沢はそもそも許されていなかった。狭い選択肢の中から、少しでも自立に通じる条件のよい職場、少しでも責任の範囲が広く能力を活かすことができる仕事、少しでも社会の中で意味ある仕事、あるいは家事・育児と両立可能な仕事を求めて、努力を重ね、チャンスがあればそれを掴み、人との出会いや、時代の変化、あるいは偶然を味方にして、キャリアを築いてきた人たちが多い世代だ。打ちのめされたり、這い上がったりの繰り返しの中で、自分に合った仕事を模索し続けてきたと言える。だからと言って、不幸でもなければ、自己実現を望んでいなかったわけではない。働くという過程の中で、自己発見をし、自分の能力や適性に気づき、あるいは社会の中で自分をどのように役立てることができるかを知り、結果的に自己実現の道を辿ってきたと言ってもよい。

今の時代は、変化が激しい時代だ。いろいろな意味での「永久」の概念はもろくも崩れ、テクノロジーの進化は社会の価値観やライフスタイルまでも大きく変えている。そして女性たちはかってなかったほどの生き方の選択肢を手に入れている。変化の時代にたくさんの自由、それが今の女性を取り巻く環境だ。だから、何でも恐れずにやってみればよい。歩みを止めてしまうこと以外は。歩み続けることにより見えてくるものが必ずある。そしてそれが「天の声」を聞く早道ではないだろうか。

編集部より: 「キャリア強化書」筆者の松信さんが働く女性のためのワークショップをはじめまし た。
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2006年8月


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