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かつて日本の女性たちは”黄金の鍵”のかかった部屋に閉じこめられていました。歴史の中の女性たちが、こう語りかけています。さあ、鍵を取り戻し、そこから脱出して、と。私たち一人一人が、黄金の鍵の持ち主となるために。一人の人間として生きようと行動した女性たちの物語をお伝えします。

『青鞜』第13回 生田花世・その4―生きることと貞操と

尾形明子

生きるために女が自分の性を売ることは許されるのか―――1914(大正3)年12月号の『青鞜』はこのショッキングな問いかけで始まりました。巻頭に安田皐月が「生きる事と貞操と」を書き、『反響』9月号に生田花世が書いた「食べる事と貞操と」に反撃しました。わかりやすくまとめるとこういうことになります。

上京しその日その日をようやく生きていた花世を頼って弟が上京してきます。アルバイトをしながら彼は一生懸命に自分の道を模索していました。彼にとって文学の道に向かう姉の存在は憧れでしたし、花世にとって弟は宝物でした。ところがその弟が重い病気にかかります。必死に看病しますが、貧しい花世には、医者にかけることも、卵や牛乳を買うことも出来ない。花世は勤め先の小さな通信社の社長に未払いの給料を受け取りたいと頼みます。当時、小さな会社では経営者と雇用者との契約はいい加減で、ほとんど主人と使用人のような関係が多かったのです。社長は花世に給料を取りにここに来るようにと地図を渡します。夕方、花世が訪ねた場所は待合(ラブ・ホテルのようなところ)でした。食事し、社長は当然のように花世を誘います。一瞬ためらったものの花世は決心していました。弟の命より尊いものは自分にはないのだと。花世はまだバージンでした。

「私は弟と二人で食べねばならぬ。あの時の私に取つては―私は真摯にこの事を思ふのである―自分と弟と二人で食べると云ふ事が第一義的要求であつて、自己一箇の操の事は第二義的な要求であつた。然し私はどんなに苦しく痛ましく其選択したこころの為にかなしんだであらう。今私は死ぬのであると思つた。私は其苦しい盃を呑んだ。そして私は其苦悶から超越しやうと思つた。私は貞操の外に生き様とした。」

両親のもとから独立して小さなくだもの店を経営していた皐月は、この一文に「血の濁り」を感じ「憮然として背骨の冷かさ」を覚えます。

「醒めた女の叫び声とは思はれない程自己を侮蔑した言葉だ。『自分一箇の操の事』を考へないで何処に生活があるのだらう。何で食べる事が必要だらう。自己を葬つた姉が弟の口へ何を運ぼうと云ふのだらう。葬り去られた姉から弟は何を求められると云ふのだらう」

「氏は確かに人間として生きると云ふ事をまるで忘れて居た」「猶氏は『彼の時只一時でも保護を与へて呉れる一人でも持つて居たら私は貞操を全ふ(まっとう)したであらう』と云つて居る。何処に保護者の許に操を売る売女(ばいた)があらう。保護者の手を離れて一足も真の道が歩めない人間になんで生きて居る必要があらう。これを醒めた女、私共の尤も近くに居る女の言葉として聞く私は、腹の底から涙の滲み出るのを覚える。何と云ふ情けなき浅ましさであらう」「然かも氏は生活難の為に貞操の自然に破れたと云つて居るー暗い木陰に紅白粉で心臓を塗り潰し乍ら明日の米代を男の袂に引くぢごく(売春婦)と何処に差別があらうかと云はれた時氏は何と答へ得るであらう」

日本女子大を卒業して、親の支援を得て独立した安田皐月にはとうてい理解しがたいことでした。花世が自分と同じ『青鞜』の一員であることが許せませんでした。まるで「売春婦と同じじゃないの」と皐月は吐き捨てるように言います。その時皐月にとって「売春婦」とは自分とは全く別世界の汚らわしい存在であり、彼女たちをそうした境遇に追いやった社会や政治に対する一片のイマジネーションもありませんでした。それが『青鞜』の女性たちの限界ともいえたのですが、実は生田花世は只たんに自らの過去を告白するために「食べることと貞操と」を書いたわけではありませんでした。

花世が言いたかったのは「女に財産を所有させぬ法律がある限り及び女に職業のない限り女は永久に『食べることヽ貞操』との戦ひに恐らく日に何百人と云ふ女は貞操よりも食べる事の要求を先きとするのである。私たち女に財産と職業がない事は本当に忘れぬ事の出来ぬ災害である」ということでした。

女性が自活することがいかに困難な時代であったことか。すべての女性は「娘」か「妻」かのどちらかであり、父親か夫の庇護の下にある存在でした。近代日本は天皇制と資本主義とを国体としますが、天皇制を支えたのが家父長制度であり、女性の政治的権利と経済的独立は徹底的に制限されました。自活を目指し、自分の道を歩むことを願う女性が陥る問題を、花世は友人と自分の体験を通してここに提起し、告発したのでした。

そうした花世の意思とはまったく別の次元で貞操論というより処女論が巻き起こります。『青鞜』内部では遠藤清子が花世を「お気の毒な人」と捉え、他に平塚らいてう、伊藤野枝が発言し、外部では大杉栄、安部磯雄、松本悟郎、久布白落実らが参加しました。大杉栄は「処女と貞操と羞恥心と」(『新公論』大正4・4)で問題の背景には女性を私有物とする資本主義体制があると指摘しましたが、多くは処女の価値に焦点を当て、花世の苦悩も問題提起も遠いことでした。そうした中で伊藤野枝は「貞操についての雑感」(『青鞜』大正4・2)で、男子の貞操を咎めずに、女性の貞操ばかり云々されることの矛盾を指摘しました。「私がもしあの場合処女を犠牲にしてパンを得ると仮定したならば私は寧ろ未練なく自分からヴアージニテイを遂ひだしていまふ」と言い切ります。らいてうは「処女の真価」(『新公論』大正4・3)で「処女を捨てるに最も適当な時」を「恋人に対する霊的憧憬の中から官能的要求を生じ、自己の人格内に両者の一致結合を新に感じた場合」とやはり処女論を展開しますが、後に書いた「差別的性道徳について」(『婦人公論』大正5・10)において男子性道徳が無きに等しい現実を踏まえ、女子の結婚の条件に処女を要求するのに対し、男子は性病を患っていても結婚が許される。しかも結婚後、妻には貞操を求め国法は姦通罪まで設けているのに、夫の側は妾を置くことも、売春婦を買うことも「男の甲斐性」とされる。そうした性の二重性にらいてうは鋭く切り込んでいきました。

きっと今を生きる皆さんには想像もつかないことなのでしょうね。でもほんとうに男の性と女の性とを私たちは同じような重さで考えているのでしょうか。どちらにとっても「性」は「心」と同じように大切だし、「性」について決定するのはいつでも私たち個人であること、決して世間や常識や他人ではないこと、だからこそ十分に責任を持たなくてはならないことを、こうした論争は私たちに改めて突きつけます。

安田皐月にほとんど罵倒されながらも、生田花世は激しく反論しました。

「習俗的な人情が処女を棄てると云ふ事を非難するのはまた在来の道徳がそれを棄てさせまいとするのはそれが決して罪悪であり、虚偽であるからではなく、その事がその当事者自身の生きる事−即ち食べる事−結婚することに不利益だからにすぎない」(『反響』大正4・1「周囲を愛することと童貞の価値と」)

生田春月との結婚に入ったばかりの花世にとって、こうした告白を世間に向かってすることは「あなたは反省がたりない」「もっときちんと考えなくてはあなたの心は前に進まない」という春月の愛に応えることでした。でも自分の妻となった女性のこうした赤裸々な告白は春月をずたずたに傷つけます。花世が提起した大きな問題は現代にまで引き継がれますが、二人の愛にとってはまさに凶器でした。でも花世はそれに気付きませんでした。

参考文献
岩淵宏子「セクシュアリティの政治学への挑戦」(新フェミニズム批評の会編「『青鞜』を読む」(学藝書林))

2004年2月



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