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女が活躍しにくい日本――でも、ここにも、あすこにも私達女性の仲間が、先輩達がちゃんと活躍しています。こういう方々をロールモデルに、しっかりと元気と勇気をお知恵をいただいて、日本を変えていく力にしてしまいましょう。毎回、注目したい女性をクローズアップ、新しいNEXTへ続け!

第9回 茅野みつるさん

村上むつ子

茅野みつるさん現在、伊藤忠商事に勤務する社内弁護士である茅野みつるさんが、イギリスから両親と日本に戻り、祖父母と暮すようになり、日本の幼稚園にはいったのは4歳の頃だった。最初に話すようになった言葉は英語、という少女は戸惑った。明治生まれの祖父母は厳格で、子ども心にも「大変なところにきちゃった」と思ったという。日本語もままならず、幼稚園の通園バスの運転手さんに自宅の方向を言うための、「右、左」を日本語で言えず困ったのを今でもハッキリと覚えている。30数年たって、彼女が今年、世界的に注目を浴びた。世界的に有名なダボス会議を主催する世界経済フォーラムが毎年決める「これからのグローバル・リーダー 百人(100 Young Global Leaders for Tomorrow)」に選出されたのだ。かつて、このリストに載った人びとで、その後、世界に知られるリーダーになった人は、ブレア英国首相やアメリカのマイクロソフト社のビル・ゲイツ会長など、少なくない。

茅野さんは笑顔が美しく、物腰は丁重、会った人は直ぐに親しみを覚えるような小柄な女性だが、話がすすむとほどなく、明解な論旨、率直な物言い、経験を積んだプロフェッショナルとしての重みが伝わってくる。日本人にありがちな衒いが全くない。

「ダボス会議に出た時、なぜ自分がその百人に選ばれたと思うか、を皆さんの前で言う事になったのですが、私は自分については、『日本の女性だから、日本の会社に勤めていて、なにかできそうだから』と言いました。その経験を経て、すごく責任を感じるようになりました」という。

イギリス〜日本〜アメリカへ
とても美しい、きちんとした言葉遣いなので、うっかり忘れそうになるが、彼女の今までの経歴や過去の体験は一般日本人とはかなり違う。

生まれはオランダ、4歳まではイギリスで育ち、帰国後14歳までは日本で教育を受け、その後、また両親と共に今度はアメリカに移り住んだ。カルフォルニアの高校で学んだ後、アメリカの名門女子大学のスミス・カレッジに進み、その後はこれもアイビー・リーグのコーネル大学の法科大学院で法律博士号(Juris Doctor)を取得した。

14歳の渡米時には英語は全く忘れていたという。が、カルチャー・ショックはなかったという。「カルチャー・ショックは一回体験すると、もうしないといわれている」のだそうだ。つまり、自分が慣れ親しんだカルチャーと違う、他のカルチャーにはじめて身を投じてその差異に衝動を受けると、そこに自分が適応する力を持たざるを得ない。世の中にいろいろなカルチャーが存在すること、自分はその中で独自のアイデンティティーをもたざるを得ない。このような認識が体験的に育まれ、二回目に似たような状況にあっても、最初のようにショックは受けない、ということらしい。彼女の場合は、まず4歳で帰国した日本でそのショックを通過したことになる。

が、アメリカで彼女を待っていたのは別の強いショックだった。当時、1980年代はちょうど日本は経済パワーで世界を闊歩しており、日米間でも貿易摩擦が高まり風当たり強まってきた時だ。ちなみに茅野さんも父親が日本の自動車メーカーに勤務しており、会社のアメリカ子会社に赴任したので一緒に渡米してきたわけだ。

一ヶ月が過ぎ、やっと新生活に慣れ始めた頃、通っている高校で討論会があった。その時に、アメリカ人のクラスメートが「日本人は短期的にやってきては、儲けていく」と日本人を批判した。先生が、彼女が日本人だということもあり反論の機会を与えてくれたが、英語もまだ上手くなく、「主張する」ことにも慣れてなかったので、思うように反論できず悔しい思いをした。その体験を通して、「日本のことを正しく理解して欲しい」と強く願うようになった。その後、彼女は人前でスピーチをする訓練をする授業や討論のクラスを積極的にとり、自分の考えを表明し、人を説得することを意識的に身につけていったという。

そして、アメリカでもエリートコースの教育を受け、難関のカルフォルニア州司法試験を25歳で通り、1991年に同地で有数の法律事務所、グラハム・アンド・ジェームスで若手弁護士としてのスタートを切った。以来、西海岸のニュー・ポート・ビーチ市、香港、東京、サンフランシスコで働き、そして、「タフ・ネゴシエーター」と呼ばれるほど、激しい交渉をこなし、1999年に同事務所のパートナーとなる。

「タフ・クッキー」
「アメリカでの私のニックネームはタフ・クッキー(tough cookie)でした。けっこう好きなニックネームですね。簡単にイエスと言えないのです」と自己評価する。仕事では、顧客会社の為に必死になる。でも私生活では「だめ」。買い物で値切ったりする事はとくに苦手で、海外でも「ねぎるより、言い値で買っちゃいます。」

茅野さんは御自分を論理的だ、と考えているのだろうか?

「はい。そうですね。やはり、それは、訓練のせいです。」返答そのものが、実証する、という例である。

アメリカの法律事務所勤務の時代は、茅野さんは一貫して日本関連の仕事に関わってきた。それは、単に彼女が日本人だから、というだけでなく、彼女の強い意志があった。「日本のために、日本の企業のために働きたいと思ってきました」というのだ。

そして、2000年には、すでに顧客会社としてよく知っていた、伊藤忠商事に、同社の初の社内弁護士(Corporate Counsel)として入社した。ここでも、国際的な交渉のプロとして内外に名前を知られるようになると共に、いまは、日本の一橋大学大学院やテンプル大学ロースクール日本校にてクロス・カルチュラルな交渉術の指導にもあたっている。

日本で働くという選択
日本では社会での女性の地位の低さや男女不平等に嫌気がさして日本を脱出しようと考える女性は少なくない。海外でMBAをとり、現地で専門職に就く機会を求める女性も多い。そのような夢をかなえると、もう日本にはあらためて帰ってこようとはしなくなる。日本女性の「頭脳流出」だ、といわれるくらいだ。

茅野さんはアメリカで素晴らしい教育を受け、立派なキャリアを築き、アメリカでの選択肢もたくさんあったのに、逆に、日本の企業で働くことを選び、日本に帰ってくる事を選んだ。それはなぜなのだろう?

「基本的に、アメリカ人にはなれない、と思ったのです」と彼女は即答する。アメリカにずっと居続けるなら、いずれアメリカ人になることになる。二重国籍は持てないので、日本国籍を捨てて、アメリカ国籍をとることになる。 

「そういうチョイスは自分にはないな、と思った」そうだ。 

「それに、私が社会に貢献するなら、アメリカで貢献するより、日本でした方がより高い価値を付加できます。自分自身の価値というより、貢献の価値ということです。」

茅野さんは現在の仕事環境が気に入っている。アメリカの法律事務所にいたときは、自分の個室があり、弁護士はそれぞれのオフィスで独立して仕事に励んでいた。が、今は大部屋で同じ法務部の同僚と机を並べている。それがまた好きなのだ、という。いわく、「個人プレーより、チームワークが私には向いているのです。一番、重要なのは同僚ですね。今、私にとっての生き甲斐というのは、信頼されて一緒に仕事をしてうまくいったときですね。」

女性の地位については、悪名高い日本、である。なにしろ、日本は、国連開発計画(UNDP)の「人間開発報告書」のまとめている、女性の活躍度を示すジェンダー・エンパワーメント・指数(gender empowerment measure=GEM)の2000年版では174ヶ国中、41位である。また、世界経済フォーラムの「国際競争力報告書2001〜2002年」では女性の経済活動状況が75ヶ国中69位で、途上国にも遅れをとっている。 

しかし、彼女が言うには、「女性の扱われ方が悪いというのは、日本だけではありません。」 アメリカの法律事務所にいた時も、弁護士は400人位いたが、その内100人がパートナー(共同経営者)だった。その100人のうち、女性は6、7、人しかいなかった。その中で、家庭をもち、子どもを育てている女性はたったの2、3人だったそうだ。

「自分は(弁護士という)専門をもっているので、今の会社でも、社内での不都合は感じません。自分に関してはこれで、いいのですが、今年一月のダボス会議にでて、私自身の意識も変わりました。帰国後、丹羽宇一郎(伊藤忠商事)社長にもお話ししました。社長も、女性の力を用いて、会社の活性化に乗り出そうとしており、伊藤忠の役員の半分をいずれは女性と外国人にと公言しています。」

女性が活躍するために
では、日本で女性の力を活性化するための急務は何か?

「結局、リーダー、リーダーシップの断固たるコミットメント が必要です。トップが女性を活かす必要を『理解』するだけでなく、実際にそのためのアクションに結び付けることが大事です。」

日本の企業人がしばしば言うことの一つに、女性を育てようとしてもうまくいかない、女性は雇ってもどんどんやめてしまう、ということである。茅野さんも、総合職の女性にもそういう傾向があり、会社だけが悪いとは思えない、という。

それなら、女性が企業組織でやめず、長く働くようにするためにはどうしたら良いのだろう?

「女性はメンターやロール・モデルが必要です。」つまり、自分が、あのようになりたい、と思い描ける人が要る、ということだ。それは、同じ組織の人でなくともいい。たんに憧れるというより、あのようになりたい、そのために努力したい、という気持ちになれる人、という同性だ。男性は社会にでても、そういう先輩を捜せる。が、女性はといえば、組織に絶対数が少なく、長年働いてきた先輩は更に少ない。

茅野さんのメンター、目指す女性は、前国連難民高等弁務官の緒方貞子さんだという。緒方さんは、今年、ダボス会議に出席なさり、そこで茅野さんもお目にかかった。

「緒方さんがとても静かな自信をお持ちになっている事に、深い印象を受けました。言うべき事ははっきりいうが、尊大ではない。とても小柄なのに、国際人としての存在は大きいのです。緒方さんが話すと、だれもが耳を傾けました。」そう話す茅野さんの目が輝いてくる。

茅野さんが社内の総合職女性とも話をすると、同僚女性が一番問題にしているのは、「育児」だという。育児の次は、「介護」だ。同年輩の男性なら子どもの父親でも、自分が困っている問題としてこの二つを挙げる人はまずないだろう。言い換えれば、育児や介護がいまだに女の肩だけにかかっているという事だ。女性にとって重要な問題は、即、「お母さんとしての問題(Mommy's issue)」だと考える事に、茅野さんはかつて抵抗があったけど、社内の女性の声を聴いて考えが変わってきた、という。

ところで、これからは女性も文化を越えて、英語で考えを表明したり、主張したり、交渉していくような場面も必ず増えることだろう。 茅野さんは自分の体験に根ざし、日本人が英語でもっと発信していく力をつけるための貴重なアドバイスをいくつか持っている。

「まず、もっと国際会議に参加することです。とにかく、まず行かないといけないと思います。別にうまくしゃべらなくとも、そこにいる事が大事です。私が、会議にでていて感心するのは、参加者の質問の仕方です。それを聞いているだけでも、「(英語で)考える力」が身につきます。」

「日本人は交渉が下手といわれているかもしれないけれど、私はそうは思いません。日本人は論理的でないのではなく、日本人には日本人の論理がありそれは文化に深く根ざしたものだという事です。ただ、議論をするときには、感情的にならず、その発言者本人と、その人の意見は別のことと考えるべきです。」

仕事=エンパワーメント
彼女のような人にとって、では、「仕事」とはどういう意味があるのだろう?

「先日、テレビの取材があったときにも「仕事ってなに?」ってきかれたのですが、やはり、私の答えは『エンパワーメント(empowerment)』ですね。自分に活力を与えるもの、ということです。」

そして、彼女にとっての「仕事」は、現在いる会社の現在の職務やポジションということだけではない。彼女は、はっきりこう言う。「今の会社にいつまでもいるというわけではない。将来のことはわからない。私は毎月、自分のレジュメをアップデート(更新) しています。ヘッド・ハンターとも連絡をとっていますよ。外をみて今の会社の良さがわかる、というわけです。」

茅野さんの当面の目標は、組織の中で、前向きに、リーダーシップをとって行くことだ。

「今までは、一人で勝負してきてそれでいいと思ってきましたが、これからは責任あるポジションが与えられたらそこで頑張りたい」という。

たしかに、世界経済フォーラムが選んだ未来のリーダーとしての素質が茅野さんにはある。このような日本女性が、この日本に、この時代にいるということを国内外に知らしめるためにも、また、日本女性の地位向上のためにも、彼女の活躍に大いに期待をし、応援をしたい。

2003年12月



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