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Q:
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アメリカ教育界の改革運動の動向をみますと、最近は知識学習とは一歩違うところに関心が深まっているようにもみえます。たとえば、EQ(IQ=知能指数に対する、情操指数とでもいうような能力)やコミュニケーション能力などの社会生活能力の重視などを耳にする事が増えました。リーダーシップ教育というのもこの流れなのでしょうか?
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A:
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本来は人文科学系の学問と社会生活能力教育は別々のものではないはずです。私達がリーダーシップ教育を通してしようとしているのは、まさに両者を一体化するということです。私たちのリーダーシップ教育は、コミュニケーション・スキルや人間関係形成そのものの教育でもあります。また、歴史や哲学、心理学や文学を勉強するということは、それぞれの学問の文脈でリーダーシップや人間の関係を学ぶという事なのですから。
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Q:
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日本でも、いままでの教育は知識の詰め込みにあまりにも片寄っていたという反省があります。オウム真理教というカルト集団がサリンを地下鉄にばらまくという事件があり、後にその集団の信徒が随分高い教育を受けていたのにショックを受けたこともあります。アメリカでも同じ様な反省があるのでしょうか?
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A:
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アメリカの教育界でも、社会的責任の教育の重要性は再認識されてきていると思います。知識や学問を詰め込んで終わり、ではなく、それをどうやって社会の中で生かしていくかが重要だと思います。学者や教育者自身が自ら社会的責任感を持って、学生を指導していく必要があります。私達が新しいリーダーシップ教育を考案する時にもこれを意識的に考えました。
例えば、「若い人たちが自分達の身の回りの事ばかりでなく、それ以上の発想をするためにはどうしたら良いか」を随分、議論しました。社会的責任感を持つ事、また、社会全体のために何をどうするのが最善かを考える発想はリーダーシップ教育には必須です。それは皆、知ってはいる事だけれど、あえてそれを言語化して指摘し、意識化するということを心掛けました。それで、標語となってきたのが、「みんなのために何が良いかを考える発想(common
good thinking)」です。この何年か、アメリカの教育界では『批判的発想(critical thinking)』を育むのが大切とよくいわれてきましたが、いまは「みんなのために何が良いかを考える発想(common
good thinking)」が新しい理念として注目されています。
その一端として大学でも「奉仕学習運動(service learning movement)」が盛んです。まず、自分たちの住む地域社会のために何をしたらいいのかを学生に考えさせます。学校で議論したり、アンケートのような聞き取り調査をするだけでなく、実際に社会の現場と関わっていきます。例えば、近隣の病院に出かけていって、なにか協力できることがないか、と尋ねます。病院で地域調査をしたいのだけど手がなくて困っている、という事がわかれば、教授と学生が協力して調査を実施する、という具合です。義務的に数時間そこに行き、補助的に助けて、終わりというのとは、経験内容も成果も全然違います。奉仕学習プロジェクトを実施する経験を通して、学生は社会の現実を学習しながら、将来の仕事に繋がる体験を積み、同時に主体的に社会貢献もするのです。教師も教科書ではなく、現実の社会から生きた教材を取り出すことができます。
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Q:
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教授達も積極的な指導をするには、今までのやり方にしがみつかずに、頭をきりかえなくてはなりませんね。
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A:
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ええ、こういうコミュニティ・サービス・プロジェクトを実施するには、教官が本当に深く関わっていくことが必要になります。それを活発に行うために、本校でも、プロジェクトに関わる方法を教授達に指導するための担当教授まで任命しました。
アメリカではこういうプロジェクト手法には、一般的には違和感はありません。1960年代から、反戦運動や女性解放運動、また環境保全運動を通して、社会をよりよくするために、自分達の望む社会にしていくために、個人がボランティアで活発に社会活動をするようになり、いまでは市民にとってはこういう行動はごく普通のことになりました。
でも、インクルーシヴ・リーダーシップ教育手法を導入すると、教授達にとっても、自分の教える教科をいかに創造的な手法で教えるかを考えざるをえなくなりました。より効果的なチームワークで教育にあたることを要求されています。先生達も新しいチャレンジとして取り組む、という結果になっていますね。
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Q:
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いままでの教育法や指導法を全く変えていく事について、教授陣の方には抵抗はありませんでしたか?
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A:
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たしかに、そこで30年、40年、教鞭をとってきた先生方に、着任したばかりの私がああだ、こうだ、といっても、私の意図がなかなか耳に届かないこともあります。でも、だからといって、学長の立場から強権的に押し付けるのは、それこそ「インクルーシヴ・リーダーシップ」の考えとは矛盾してしまいます。ですから、私も自分が主張するリーダーシップを、自ら実践して示していかなければならなかったわけです。
インクルーシヴ・リーダーシップは、「今まで通りのやり方ではなくて、新しい価値観、新しい方法で問題の解決をする」ということから始まったのですから、私もその信念を行動で示す必要があります。ですから、私は学長として上から「命令」するのではなく、改革のエンジン役を果たそうとしました。教師や職員の自信とインスピレーションを引き出すのが私の役割だったのです。
「私達が本校のミッションステートメント(大学綱領)を書き換えましょう。本校を外の世界にむけてどのような大学だとアピールしていきたいのかを考えてください」と先生たちに呼びかけました。先生たちにチームを作ってもらい、議論や確認をしながら、企画を練り、計画を実行していってもらうのです。これは、大変な手間ひまのかかる仕事ですが、一番、実効性がある作業でもあります。
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Q:
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新しいリーダーシップ概念をつくり出して、それを表現するときになぜインクルーシヴ(inclusive)という言葉を選んで用いたのですか?
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A:
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私達が発想したリーダーシップ概念にどういう名前をつけるかについては随分悩みました。いろいろな表現の言葉があると思いますが、私達は、あえて、インクルーシヴ(inclusive)という言葉を選びました。私達の考える概念では、リーダーシップ形成はプロセス、過程であって、そこに様々な考えを入れていく、そういういろいろな考えを持ったいろいろなタイプやスタイルの人が参加して、全て巻き込み、包み込んでいくことが大切です。声の大きい人、小さい人、性格が強い人、おとなしい人、人種の異なる人、男や女、若い人、お年寄り。学生、教授、職員、地域の人びと。すべてを、インクルード(include=含む)するという意味が込められているのです。
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Q:
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学長やロッシさんが、インクルーシヴ・リーダーシップ教育に関わって20年近くになりますが、この仕事を通して、ご自分たちはどうのように変わってきましたか?
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A:
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(ロッシ氏)
そういうことはあまり今まで考えてきませんでしたが、たしかに自分の人生と重ねあわせて考えると面白いですね。
(註:ロッシ氏は、名門コロンビア大学の国際関係学大学院で博士号を習得し、同校や他の東部地域エリート校で教鞭をとったあとで、マンモウス大学に着任。同校の学長の職にあったときに、ネメロウイッツさんは社会学の教授兼芸術科学学部長として共にインクルーシヴ・リーダーシップの概念を研究し、インクルーシヴ・リーダシップの教科書ともいえる本、「Inclusive
Leadership &Social Responsibility」を共に著した。彼は現在、パイン・マナー・カレッジでネメロウィッツ学長の特別補佐として、彼女を支えている。)
私も国際関係論の学者としてはエリート的コースを歩みました。もともとは、労働者階級の家庭出身なのですがね。一般の階層的社会常識から見ると、かなり良い地位を得たのですが、インクルーシヴ・リーダーシップに関わって行く内にそれがあまり意味を持たなくなりました。縦社会的な価値観から解放されたというのでしょうか、まさにインクルーシヴ・リーダーシップの中で私自身も次の段階にはいったと言えるかも知れません。
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A:
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(ネメロウイッツ学長)
私は、自分に対してもっと批判精神ができてきたとおもいます。自分が主張しているインクルーシヴ・リーダシップを実践していくことの難しさを知れば知る程、自己に厳しくなるというのでしょうか。でも、その理想をかかげて実行していくのが自分の仕事だと思っています。
パイン・マナー・カレッジに学長として就任したのも、学長の地位を求めたからでなく、ここで自分の信じるリーダーシップ教育が実践できる、と思ったからです。私とインクルーシヴ・リーダシップは切っても切り離せない仲になりました。
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Q:
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インクルーシヴ・リーダシップという概念は、アメリカ一般社会にも根付いてきているのでしょうか?例えば、企業社会、ビジネス界でも、拡がっているのでしょうか?
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A:
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まだ、少数派かも知れませんが、このような考え方は確実にひろまっていると思います。例えば、ビジネス界でも、数は少なくとも、「進歩派エリート」とでも呼べるような人びとが存在しており、ビジネス全体に重要な影響を及ぼしています。私たちもこういう人たちから多くを学んできました。革新的な企業のトップは、やはり、私達の考えるような民主主義的なリーダーシップを実際に発揮しています。そういう人たちが、私たちの提案しているインクルーシヴ・リーダシップの、現実社会でのモデルになっているわけです。
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Q:
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「インクルーシヴ・リーダシップはプロセスだ」とよくおっしゃいますが、それをもう少し説明してください。
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A:
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どのような集団でも活動のベースになっているのは人間同士の関係ですね。集団の人間関係が醸成されるプロセスは、リーダーシップを上手に育み、活動成果をあげるプロセスです。集団内の人間関係がスムーズにうまく機能しているかどうかが、活動の成否に影響します。そして、良い人間関係を形成するというのはプロセスそのものなのです。
そのプロセスは相互に教え、学びあうプロセスでもあります。すべての人が、ほかの人に教える事があり、どのような高い地位の人も常に学ぶ事ができる。学校の教室でも、年若い生徒から先生が学ぶこともしばしばあります。当然、昔ながらの、壇上から講釈をするだけの先生が、そのようなプロセスを醸成するのはむずかしい。学生と一体になって共に学習プロセルに参加するという姿勢の先生のほうが、インクルーシヴ・リーダシップには相応しいということになりますね。
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Q:
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最後に、9・11の事件以降のアメリカ社会での動向について、インクルーシヴ・リーダシップ推進者としては、どうお思いですか?
あのような国家的な危機に直面すると、ブッシュ大統領が力強く、父性的で権威主義的に事にあたり、昔ながらのリーダシップを発揮するのをアメリカ国民が歓迎しているようにも見えますが。
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A:
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あの事件以降が、「危機」なのかもしれません。今の状況は、危険だとも言えます。あまりに恐ろしい事件が起こったため、アメリカ国民は、恐怖心にあおられて思考するというパターンに陥っていました。今、やっと、状況は少しましになりました。
事件の直後、国民に意見をあおぐことなくどんどん政策を決めていく現政府のやり方、また、それを熱烈に支持をする国民やメディアはちょっと尋常ではありませんでしたね。
こういう危機の時に、強権的なリーダシップが機に乗じて、市民の持っている権利を制限したり、民主主義を片隅に追いやったりしてしまうのが、心配です。
本来は、こういう危機的な時にこそ、インクルーシヴ・リーダシップが発揮されるべきなのだと思います
私達の理想は、市民が決定過程により活発に参画する、ということです。それが、地域社会の活動であれ、家庭内であれ、企業の戦略であれ、国家レベルの決定であれ、そこに人びとの意志が反映されなければなりません。一般市民、一般社員が社会や組織の意志決定に活発に参加するのが当たり前になれば、私達は権力のブラックホールを解明し、新しい社会にむけて進むことができると思います。
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