「トロフィーハズバンド」に見るパートナーシップのあり方
松信章子
トロフィーワイフという言葉をご存知ですか。ゴルフのトロフィーのようなはでばでしさが匂うこの言葉は、功なり名とげたあと手に入れた二番目、あるいは三番目の若く見栄えの良い妻のこと。自分の成功を明らかな形で人に見せるために若く美しい妻を持つことは成功を極めたアメリカ男性、いや洋の東西を問わず多くの男性の夢なのものかも知れません。トロフィーワイフは社交やチャリティ、そして消費活動が主な仕事というのが通り相場のようです。妻に贅沢の限りを尽くさせてあげるのも男の甲斐性といったところでしょうか。でもトロフィーワイフを手に入れるためには糟糠の妻を捨てなくてはなりません。もちろん訴訟も覚悟のうえなのでしょう。それにしてもアメリカの女性たちは、男性社会が生み出した(と思われる)このトロフィーワイフという表現にどんな反応を示しているのか寡聞にして知りません。
ところが先日、アメリカのビジネス誌、フォーチュン誌*1でトロフィーハズバンドと言う言葉を目にし、ついに女性も若い夫やツバメをトロフィーとして求める時代になったのか、と一瞬勘違いをしました。ところがさにあらず。トロフィーハズバンドは、アメリカの大企業で上級管理職についている女性たちを影で支えている専業主夫(専業主婦ではありません)のことなのです。バリバリのキャリアウーマンはよく、「私も家事をしてくれる妻が欲しい」というため息をつきますが、トロフィーハズバンドはまさしく男性版妻といったところで、トロフィーワイフとは異なりお飾りの存在ではなく実質先行の存在なのです。専業主夫の存在はもはやそれほど驚くべきことでもないようで、フォーチュン誌によると、2001年に行われたフォーチュン主催のMost Powerful Women in Business Summit(ビジネス界でもっとも力を持つ女性のサミット)に参加した187人の女性トップエグゼクティブたちの30%には専業主夫の支えがあったとか。彼らは朝、出勤前の妻が髪の毛をブローしている間にコーヒーを淹れ、子供を学校に送りだし、PTAに出かけて行き、庭仕事をして、夕方には夕飯を作って妻の帰りを待つというように専業主婦同様、家庭を取り仕切りっているのです。「ひも」や「ジゴロ」のような寄生的存在とは大違いで、夫婦の総和力を極大化するための実利的なパートナーシップと言えるでしょう。
この記事によると、女性の経済界進出が著しいアメリカでも五年前にはトロフィーハズバンド的専業主夫の存在は、まだ公然とは人々の口の端にはのらなかったとか。でも今やこの社会的役割の逆転について、トップエグゼクティブの妻たちも、それを影でささえる主夫たちも「押入れ」から出てきて、堂々と自分たちの新しいパートナーシップのあり方を語りはじめているようです。大企業トップの女性たちの間では「だれそれの専業主夫はどうこうだ」とかいうゴシップが羨望と共に語られ、いわばホットトピックなのだそうです。後顧の憂いなく仕事にまい進するために、専業主夫をいとわない柔軟で寛容な生き方ができる男を夫として持つことが、こういう妻たちのトロフィーなのでしょう。
社会的認知を得はじめているとはいえ、伝統的な役割を逆転させたこういうパートナーシップのあり方を受け入れるところまで来るには、当然ながら男性側にも女性側にもさまざまな葛藤があったようです。トロフィーハズバンドの多くは、最初から主夫を志したわけではなく、自分自身も立派なキャリアを持っていた人が多いようです。にもかかわらず、妻がコーポレート・ラダー(出世の階段)を登って行くにつれ、誰かが家で子供の面倒を見るべきだという現実に直面し、妻に稼ぎ手の道を譲った人たちです。最近のNHKの連続ドラマ、「満天」の主人公の夫は、宇宙飛行士になるという妻の夢を一緒に追求するために専業主夫になることを選んだ夫でしたが、この夫はトロフィーハズバンドと言ってもよいでしょう。もっともアメリカの場合は、夫をトロフィーたらしめるには妻自身は経済界でトップに上り詰めるという前提があるようです。こういう妻はとてつもなく高給取りなのでしょうが、妻にしても家族の稼ぎ手になることのプレッシャーや、夫への気兼ねもあるに違いありません。
男性側も納得して専業主夫になったとはいえ、この逆転の役割を果たすのにいろいろな戸惑いもあったようです。親の集まりで他の母親達に無視されたり、やもめと間違えられたり、果てしなく続きながら感謝されることの少ない家事にうんざりしたり。当然ながら社会からの隔絶に疎外感を覚える人もいれば、セラピストに通う人、主夫同士でネットワークを組んで対策を講じている人などもいるようです。もしかしてそのうち主夫のキッチンドリンカーも出現するかも知れません。いずれにしても仕事は大事だが家族や子育ても大切という、言ってみれば伝統的な価値観の復活には産業構造の変化によるアーリーリタイアメントの一般化もその背後にあるものと思われます。
トロフィーハズバンドの存在はアメリカで女性の経済界トップへの進出が加速度を増していることと、それにつれて起こってきた新しい問題を示しています。洋の東西を問わず、仕事と家庭の両立は容易なことではないのです。パートナーシップのあり方としては夫が唯一の稼ぎ手になり妻が家事を引き受ける専業主婦型、夫と妻の両方が働く共稼ぎ型、あるいは主婦がパートタイマーなどで家計を助ける部分的共稼ぎ型が一般的に見られる「ビジネスモデル」でした。専業主夫型は役割の逆転と言う意味ではドラスティックに新しいとも言えますが、仕事と家庭での役割を明確に分担する古典的な専業主婦型とモデル自体は変わりません。専業主婦が長く抱いてきたフラストレーションはそのまま専業主夫のフラストレーションにもなり得ます。フォーチュンの記事でも、専業主夫の出現であらゆる形のパートナーシップのオプションが可能になったと指摘する一方、夫が家事に専念する形は一般的に広まることはないだろうと予測しています。その理由としては普通の人びとが抱く家庭観や意識の問題と共に、「フォーチュン500」の企業(フォーチュン誌が選んだアメリカのトップ500社)の中で、上級副社長以上の役職に上りつめた女性は「たったの6%」に過ぎないからだとも指摘しています。多くの家庭では共稼ぎの必要があるのが現状なのです。とはいえ、この新モデルはさまざまな形のパートナーシップを許容するアメリカ社会の寛容性と、沽券にこだわらず実質を選ぶアメリカ男性の柔軟性、そして何よりもアメリカ女性の強い自信と社会進出意欲を示していると言えます。
ひるがえって日本の現状をかんがみると、トップ500の大企業の上級管理職に「たったの」6%も女性が進出しているアメリカの状況は私たちにはまぶしいばかりです。日本の場合、製造業であれ、金融業、サービス業であれ、日本を代表する大企業のトップエグゼクティブに女性の顔を何人思い浮かべることができるでしょうか。日本では、一般企業(大企業に限らない)の部長職についている女性すら、それこそ本当に「たったの」1.6%*2に過ぎないのですから。中間管理職のレベルでも女性が充分に進出できていない状態では、トップに上りつめてトロフィーハズバンドを求めるよりも、まずは共稼ぎ型に家事と育児のワークシェアリングをプラスしたモデルを追及して行くほうがずっと現実的といえます。日本版カーリー・フィオリーナ(ヒューレットーパッカード社のCEO)が出現して、専業主夫というトロフィーを得るオプションがあるのだということを現実に見せてくれるのはまだ遠い夢としても、仕事での自己実現をあきらめないですむように、家事や育児でのワークシェアリングをいとわない夫を持つことこそ、日本の働く女性が求めるべきトロフィーではないでしょうか。
*1: 雑誌『フォーチュン』のWebサイトより 「MOST POWERFUL WOMEN IN BUSINESS -Trophy Husbands」。
*2: 厚生労働省、「平成14年版働く女性の実情」による。本サイトの「Data 日本女性の現状を数字で見る」参照。
2003年6月
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